Home News Bio Membership Gallery Tour
 


“Japan’s Diplomatic Relations Began with Drifters”

Friday, September 29th, 2017

A symposium entitled “Japan’s Diplomatic Relations Began with Drifters was held at Yui no Mori Arakawa in Tokyo on July 17, 2017. Panelists included Mr. Frederik Schodt, author of ‘Native American in the Land of the Shogun’, and Tokyo- based author/scholar Ms. Sen Ishida; the moderator was author Natsuo Sekikawa, board member of the Japan Writers’ Association. Page 3 is a write-up of the symposium from the ‘Weekly Dokushojin’ publication; Mrs. Yumiko Kawamoto’s report on the symposium can be found below. The following is a flyer that was circulated for this event:

日本文藝家協会著作権管理部    各都市巡回文藝イベント  第10 回      東京

シンポジウム

漂流民から始まった対外関係

— 吉村昭を再読する―

鎖国下の日本に、外国語を習得しようと、また、翻訳を試みようとした人々がいました。辞書も無く手探りで学ぶ困   難さ、そして異文化への強い憧れと知識欲。吉村作品の「海の祭礼」「冬の鷹」に描かれた時代と人を、吉村昭記念文  学館があるゆいの森あらかわにて語り合います。[シンポジウムは日本語で行います]

パネリスト      フレデリック・ショット

(日本マンガおよび漂流民研究者・同時通訳者)

石田    千(作家)

進 行      関川夏央(作家)

日 時 2017年 7月17日(祝日・海の日) 14時~16時

会 場 ゆいの森あらかわ         1 階ゆいの森ホール     東京都荒川区荒川 2‐50‐1

入場料無   料  (要予約)

* 終了後、作家との茶話会を開催いたします。会費:500 円(要予約)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

History’s Accidental “Ambassadors” ~~ report by Yumiko Kawamoto

「漂流民から始まった対外関係」参加レポート    河元 由美子

日本文芸協会主催のシンポジウム「漂流民から始まった対外関係―吉村昭を再読する―」が 2017 年 7 月

17 日(月)14:00-16:00、ゆいの森あらかわ(東京都荒川区荒川 2-

50-1)1 階ホールで盛大に行われた。文芸協会の web 上の「お知らせ」には「鎖国下の日本に、外国語を習得しようと、また、翻訳を試みようとした人がいました。手探りで学ぶ困難さ、そして異文化への強い憧れと知識欲。吉村昭作品の『海の祭礼』『冬の鷹』に描かれた時代と人を、吉村記念文学館があるゆいの森あらかわで語り合います。(シンポジウムは日本語で行います)」という文面がある。一般参加者にはわかりやすい説明文である。

参加申し込みはあっという間に定員の 120 名を越し、主催者は定員外で参加不可の人たちへの対応に苦労したそうである。

吉村昭は海外でも翻訳書が多くよく読まれている人気作家で、その緻密な取材力には定評がある。現地取材と文献による裏付けがしっかりしており、しばしば研究者からも参考にされているが、彼自身の言葉によるとどうしても事実と事実がつながらない場合は想像力でその狭間を補うと言っている。そのフィクションの部分と事実が大変よくつながっているので感心するのだが、やはり研究者は自分で「事実」を確認しなければならない。

このシンポジウムの構成人員は 3 人で、モデレーターの関川夏央氏(作家)、石田千氏(作家)、そして我らがレデリック・ショット氏である。進行役の関川氏が『海の祭礼』に従ってマクドナルドの生い立ちから日本訪問、帰国後の動静、晩年までを説明、話の山になる部分を石田氏が朗読、彼女の落ち着いた明快な声が耳に快い。冒頭の部分(マクドナルドの利尻上陸の部分、アイヌの人々によって助けられ、保護される場面)、次いでマクドナルドの回想に入り、プリマス号から離れ、一人焼尻島に上陸する場面(トドの群れにピストルを発射)、長崎到着の場面(長崎奉行の取り調べ、踏み絵をさせられる、森山栄之助との出会い)、座敷牢での英語教授(マクドナルドの日本語単語の収集、通詞たちが蘭英辞書の発音を確かめる、マクドナルドの温和な性格が日本人に好感を与える、熱心な生徒たち、日本語単語帳に長崎方言が混じる)、森山の晩年(疲れ切って健康を害し、全盛期の勢いがなくなり、寂しい晩年だった)、などが石田氏の朗読場面だったように思う。その合間に関川氏とショット氏の軽妙なやり取りが交差する。ショット氏の流暢な日本語に聴衆はすっかり魅了され、ときどきその当意即妙な答えに会場が沸く。マクドナルドといえば必ず登場するショット氏である。語り慣れているとは言え、いつもながらその知識の深さと完ぺきな表現力には感心させられる。「もし踏み絵を強要されたら?」とか、「深くお辞儀をするのに抵抗があるか」とか、「クジラを食べたいか」とか時には本題を離れた質問に笑い声が起こった。脱線も関川氏の作戦か、和やかで楽しい 2 時間があっという間に過ぎた。質疑応答は会場を開ける時間が決まっているのでなかった。その代わりシンポのあと、30 分ほどパネリストと参加者の交流ティータイムが用意された。私はこの会に出なかったので様子はわからないが、文芸社の小俣さんが撮った写真を見るとリラックスしたよい雰囲気が伝わってくる。会場に来た 120 人の人はすっかりマクドナルドの存在が頭に焼き付けられたことだろう。関川氏もよく事前勉強をされ、会の流れを巧みに操縦したと思う。会場整理の文芸社社員もよく効率よく働いていた。大成功だった。

吉村昭は荒川区東日暮里の生まれで長く荒川区に住んでいた。吉村昭文学記念館が荒川区に新しく創設された

「ゆいの森あらかわ」の 2 階に「吉村昭コーナー」として収まった。

吉村の作品、彼の書斎にあった書籍類、膨大な執筆資料、原稿などが集められ、彼の書斎まで復元され、愛用のペンや机などがそのまま置かれている。吉村ファンにとってはまことにありがたい場所である。

シンポの行事が終わり、関係者は吉村氏行きつけの中華料理店に移動した。関川、ショット、文芸協会のスタッフ、講談社と新潮社のもと編集員、ともに吉村昭担当のベテラン編集者、私と友人の 12,3 人が丸いテーブルを囲み乾杯、そして次々運ばれてくる料理を食べながら歓談。前夜のホテルで冷房のスイッチが見つからず地獄の一夜を過ごしたショットさんに同情が集まる。そう、日本列島どこでもまるで焦熱地獄のような気温だったのだ。7 月 14 日に羽田に着いたショット氏はすぐ長崎に飛び、森山栄之助顕彰碑を見に行った。長崎のホテルには小濱先生、前田氏が表敬訪問、翌日は前田氏の案内で松の森神社参道にある森山顕彰碑とマク

ドナルド顕彰碑をカメラに収める。東京に引き返し取材やシンポの打合せで休みなしの強行軍、それもひどい暑さと闘いながら・・、涼しいサンフランシスコからの賓客にはまことに過酷な滞在だったことに深く同情する。

食卓での話題はなぜMacDonald なのか、McDonald との違いは何かで始まった。ショット氏の答えは

「どうでもいい」、これに満足しない面々はさらに追及、私に意見がもとめられたので、私も「どうでもい い」と。山崎をヤマザキ、ヤマサキふた通りの読み方がある。本人がヤマサキだといえばみなそれを尊重してヤマサキさんと呼ぶだろう。斎藤にも斎もあれば斉もある。要するに名前は本人がどう読むか、どう書くかで決まるのではないか。「座敷牢」は英語で何というかの質問に、座敷ではない、あれは「牢」なのだという答

え、ご名答。座敷とは畳の敷いてある部屋という意味でしかも 3 畳ぐらいの広さしかない。健康でアウトドア派の若者にはとてもつらい環境だ。なるほど座敷と牢のどちらがキーワードか、考えるチャンスをもらった。蛇足ながらマクドナルドが別れのあいさつで「ソイナラ」と言ったという発言があった。SOINARA では なく SIONARA の読み違え書き違えではないか。SIO なら   サイオと読める。今の日本人はヘボン式で読む 習慣があるが、 SI をサイとなぜ読まないのか、サイオナラならより「さようなら」(Good bye)に近づく

ではないか。

A Very Special Gathering

Sunday, May 28th, 2017

We knew it was going to be a special meeting as soon as we got off the elevator on the second floor of the Heritage Museum in Astoria – we were not ‘late’, but we found the hallway filled with FOM members and guests chatting and patiently waiting to enter the gallery area of the old, Circa 1904 Astoria City Hall.  We were thrilled to see so many familiar faces – and a number of new faces as well. We – all of the Friends of MacDonald members – are pleased and gratified that our membership stays strong.  It is often difficult for organizations such as ours to remain healthy over the years; that said, we feel that our success stems from the allure Ranald MacDonald himself. As far as historical figures go, I think I speak for all of our members when I say that Ranald is definitely one of the more interesting characters to spring out of the Pacific Northwest, if not America itself.

We began our meeting by welcoming charter member and former FOM Chairman Prof. Stephan Kohl, former chairman Jim Mockford, and author of ‘Ranald MacDonald: Pacific Rim Adventurer’, JoAnn Roe, who, at age 93, drove BY HERSELF to Astoria from Bellingham, WA to be with us at this year’s luncheon. We were also honored to have Consul General and Mrs. Uchiyama of the Japan Consular Office in Portland, Chinook Council Vice Chair Sam Robinson and his better half Mildred (who entertained us with Chinook drums and songs of gratitude to the Creator who watches over us all), and local Chinook artist Charles Funk and his wife Mary. Members of Clan Donald were also in attendance, as well as visitors from Montana and Japan. Jim Mockford reminded us of our history as a Committee of the Clatsop County Historical Society, and – with occasional corroboration from Professor Kohl – told the story of the early days of FOM when Bruce Berney of Astoria and the late Mas Tomita of Epson Portland (among others) work against all odds to establish FOM. ~ Chairman Mas Yatabe

 

 

 

RISHIRI REPORT

Tuesday, February 28th, 2017

The following reports (in Japanese) were written by two students from Rishiri High School, Yuto Shima and Haruno Tsutsumi,  and their foreign language teacher, Junichiro Miyamoto, after completing their visitation to Spokane and Toroda, Washington and Portland and Astoria, Oregon, spending 5 days in each State.  They visited the grave site of Ranald MacDonald near Toroda, Washington and attended classes at Colville High School in Republic, Washington with other local students. They were guided by a long- time member of FOM and the author of the book “Unsung Hero”, Atsumi Tsukimori McCauley of Spokane, WA.  Next the three flew to Portland where they were joined by Rishiri H.S. Principle, Mr. Tsubokawa, and the PTA President, Mr. Yoshida. The five were guided by FOM Chairman Mas Yatabe to meet with Council General of Japan in Portland, Kojiro Uchiyama, who gave the two students’ self-introduction speeches in English a high grade of “A” as if they were his students, which made Principal Tsubokawa, Foreign Language teacher, Mr. Miyamoto and Mr. Yoshida, the PTA President very happy.   The five from Rishiri were driven by Chairman Yatabe to Astoria where they visited the birth place monument of Ranald MacDonald and later they were taken to Astoria High School where the students met host families and the Principle of Astoria High School, Mr. Lynn Jackson.  Although their stays in Washington and Oregon were short, they, in particular the students, learned a great deal about the diverse nature of the people and the culture of US, and the independence of US students compared their Japanese counterparts.  Both students were very appreciative of the host students’ and their families’ kindness in Republic, Washington and in Astoria. Oregon.  

マクドナルド短期留学研修を終えて 北海道利尻高等学校 

2 年 A 組志摩祐斗 

私は今回のアメリカ短期留学研修を通して、沢山の新しい経験をすることができました。私は留学に行く前は、英語がどれくらい通じるのかということや治安面について不安に思っていました。しかし、実際に行ってみると現地の方々が温かく迎えてくれたり、ワシントン州の大自然に囲まれた町やオレゴン州の洗練された町で生活することができて、とても幸せでした。

私が感じた日本とアメリカの違いは、アメリカ人は日本人より自立しているということです。アメリカの高校生の多くは免許が16歳で取得できるため、自分で車を運転して登下校をしていました。その  他にもホームステイ先の5歳の子が自分の部屋を持っていて夜は1人で寝ていました。このように現地の人は日本人よりも自立していて、その分高校生になると自分で責任を取らないといけないことも増え  るので、日本人よりも大変になるのではないかと考えました。

また現地の高校を訪問してみて沢山の文化の違いを感じました。握手を求められたり、仲の良い友達同士でハグしていたり、授業中にご飯を食べている生徒もいました。また私が理解できなかった英語を、日本語を習っている生徒が頑張って訳してくれたり、利尻について質問してくれたりと、とても責任感が強くて積極的な人が多く、現地の高校生から学ぶことがたくさんありました。

ホームステイ先では多くのおもてなしや気遣いをしていただき ました。おやすみやおはようなどの日本語を覚えて使ってくれたり、お土産の箸を使ってくれたりしました。また、私が卓球部だと言うと、卓球場に連れて行ってくれました。このようにアメリカ人はサービス精神が日本人よりも多く、ホームステイではとても有意義な時間を過ごすことができました。

私の留学の最大のテーマはコミュニケーション能力の向上でした。現地の方々は私が利尻や家族について紹介すると、大きなリアクションを取ってくれたり、会うと笑顔で挨拶をしてポジティブな言葉をたくさんかけてくれたりしました。私は現地の方々と話してみて、コミュニケーションを取ることの楽しさを改めて実感するとともに、沢山の元気をもらいました。

今回の短期留学では日本の良さを再確認することもできました。アメリカでは空港の椅子が食べ物で汚れていたり教室の  床に本がちらばっていたりしました。その他にもゴミの分別がなかったりコンビニが近くになかったりと、日本ではあまり考えられないようなことが普通に行われていました。このようなことを通して清潔で環境が良く、安全な日本はやはり良いところだと感じました。

今回もラナルド・マクドナルド短期留学ということで、ラナルド・マクドナルドが育ったトロダという町に行きました。トロダは建物が少なく自然がたくさんあり、利尻よりも田舎な町でした。彼はこの田舎町で育ったからこそ、後に日本に漂流を装ってまで行く冒険心や勇気が生まれたのではないかと私は考えました。これからは今回の留学を機により一層英語の勉強に力を入れるとともに、魅力的なアメリカでの経験をたくさんの人に伝えられるよう努力していきます。

 

マクドナルド短期留学研修を終えて北海道利尻高等学校 2 年 A 組堤春乃

中学生の頃からの目標だったこの短期留学。事前研修が進むにつれ、アメリカに行くという実感が湧いてきました。これまではただただ楽し みなことしか考えていませんでしたが、期待と同時に不安な気持ちにもなってしまいました。しかしいざ飛行機に乗ってアメリカの土地に足を踏み入れてみると、不思議なことに不安が一瞬で払拭されました。「たくさん学びたい。たくさん楽しみたい。いい思い出を作りたい。」あの頃からずっと憧れていたことがいまこの瞬間に叶っているんだ、と思うと自然と強い自分になれました。振り返ると、私の夢の時間はあっという間に終わってしまいました。

日本からテレビやインターネットで見るアメリカと、実際にその土地にいって実感するアメリカの文化は大きく違いました。特にカルチャーショックを受けたのは現地の高校です。私たちと同じ年代の子がどのようなライフスタイルなのかを一番間近で感じられる良い機会でした。しかしもう何もかも違いすぎて驚くことばかりでした。『日本の高校生』と『アメリカの高校生』の違い、授業体制の違い、部活の仕組みの違い。知ること聞くこと全てが新鮮でした。また、現地の高校生は私たちにたくさんの興味を示してくれました。アメリカにはない制服、日本の文房具、歴史や言語などについて質問をしてくれました。その中でもとくに印象的であったやりとりは、『日本語』についてです。日本語に興味を持

ってくれた子に、「日本人は文を書くときにひらがな・カタカナ・漢字の 3 つを使うんだよ」と私の名前を使いながらそれぞれ紹介しました。するとその子は「私の名前を漢字で書いて」と要求してきました。当然書くことはできなかったのですが、私たちが普段当たり前と思っていることがそうではないことを身をもって感じられた出来事でした。文化・言語の違い、人との出会いや新たな発見をできたからこそ、心から楽しむことができたのだと思います。

ホームステイでは今回の研修の中で最も濃い時間を過ごすことができました。正直、言葉の壁はとても大きな障害でした。もちろん耳に入ってくる言葉は全て英語。それもネイティヴの人たちなので初めは聞き取ることが非常に困難でした。自分がダメダメで、自信がなくなってしまうこともありました。しかしそんな私にも「心配しなくて大丈夫だよ」「もっとゆっくり話そう」などと気を遣ってくれる、

優しい家族の下でホームステイできたことをとても嬉しく思います。テレビで放送されているアメリカンフットボールの試合を全員で応援したり、ハロウィンのためにジャックオランタンを作ったり  と、初めての体験もさせていただけました。この短期間で多くの思い出を残すことができ、ホストファミリーの方々の気遣いや優しさ、心の温かさなど素敵な人間性を感じられる大切な時間となりました。

そして、現地で日本人のあやのという女の子に出逢えたことは、私の人生の強い支えになったと思い  ます。彼女は私の1軒目のホームステイ先に8月から交換留学生としてホームステイしていました。同い年にもかかわらず家族のもとを離れて1人で外国に飛び立ち、自らの力を使ってアメリカでの生活を送っている彼女のたくましさに圧倒されました。そんな彼女が大切にしている言葉を教えてくれました。

『YOLO(You Only Live Once)』。人生一度きり、という意

味があります。彼女はその言葉を支えに過ごしているそうです。たった 2、3 日しか一緒にいられませんでしたが、同じ日本人で同じ年齢で同じ性別の彼女の存在は、この人生で決して忘れることはないだろうと思います。滞在中は自分自身を客観視できる場面が多々ありました。自分の足りない部分や欠けている部分を見つめ直すことで、向上心をあげることに繋がり、自然と意欲的  になっていったように思います。なんとなく過ごしていた時間も視線を少し変えてみるだけで何か生ま れてくるものがある、とこの研修を通して気づかされました。アメリカでは月森さんと谷田部さんにとてもお世話になりました。街の紹介や車での移動だけでなく、知らない土地で右も左も分からない私たちの心の拠り所にもなっていただいたように思います。またマクドナルド友の会会長の古川さんや歴史研究家の西谷さんをはじめとするたくさんの方々や両町のご支援、そして温かく見送ってくれた家族に心から感謝しています。私がこうして目標を一つ達成できたのは、周りの支えがあったからだと実感しました。

「行けばわかる」。確実に自分の中で何かが変わります。小さい島から大きな国へ渡るのは勇気がいることですが、大きな一歩を踏み出すことで、自分の世界が広がるはずです。行ったからこそ味わえたこの研修の魅力を次の世代の人たちに発信して、少しでも多くの人に関心を持ってもらえるようこれからも努力していきます。

 

マクドナルド短期留学研修を終えて北海道利尻高等学校       外国語科教諭          宮本順一郎

8月の夏休み中から参加生徒と本格的な準備を始め、出発が近づくとマクドナルド友の会の方々と細かな打ち合わせを持つようになった。その打ち合わせの中で初めて、これほどまでに多くの方々からご支援をいただいている事業なのかということを知った。汗顔の至りである。ご支援をいただいているすべての方々に衷心よりお礼を申し上げたい。

人生において経験しておくべきことが無数にあるが、海外へ行くこともその一つと言えよう。十代後半、しかもこの短期留学のために英検の勉強をしてきた二名にとってはベストタイミングである。私の ような四十代の者が想像するより遥かに多くのものを得ていることは、二人が語らずとも雰囲気から感じ取ることができる。この短期留学がかくも刺激に満ちたものであることに、帰国して初めて気付かされたのである。

 

二人の成長が垣間見えるエピソードをご紹介して、ご支援を頂いている皆さんの御恩に僅かでも報いる ことができれば幸甚である。

ワシントン州でのホームステイを終え、ポートラン ドに向かった。到着して昼食を取った後、在ポートランド領事事務所へ。そこで二人はそれぞれ、内山浩二郎総領事(写真中央)に英語でスピーチを行なったが、実に立派なスピーチであった。私なんぞ、日本 語でもあれほどのスピーチはできない。内山総領事からは「ABCの3段階で『A』」を頂戴した。大したものである。短期留学期間中、最も緊張を強いられた時間だったのではなかろうか。そして、これほど改まった場で外国語を話す機会は、極めて稀有なことである。二人の人生において、実に大きな財産になったと信じる。

そして、帰国後、在札幌米国総領事館へ行き、ハービー・ビーズリー広報・文化交流担当領事(写真左) と面会する機会を設けていただいた。言うべき内容を頭に入れ、ビーズリー領事に向かってスピーチをする二人だったが、領事は文ごとに合いの手をお入れになったり、質問をなさったりする。これは二人にとって想定外のことであった。無論、私にとっても想定外。内心、「これは厳しい」と思っていた。しかし、そこで展開されたのは、領事とのやり取りを楽しむ二人の姿であった。日本語も交える心配りをなさるビーズリー領事には、帰国間もない我々を労うかのように、心地よい時間を提供して頂いた。さて、この短期留学に並々ならぬご尽力をいただいているのが、コーディネーターのお二方である。最初に行ったスポケーンでお世話になったのが月森愛鶴美さん、その後、ポートランドでお世話になったのが谷田部勝さんである。お二方の善意がどれほどのものか語りつくすことができない。私のような人見知りをする人間には、意気投合する人がそう現れるものではない。しかしアメリカで出会うことになるとは予想だにしていなかった。それが月森さん(写真右)である。人見知りはするが図々しい私は「お母さん」と呼び、この上なく寛容な月森さんはそれを許してくれた(と解釈している)。人間観察眼があまりに鋭く、自分でも気づかない一面を指摘されたときは、ぐうの音も出なかった。メールの最後に、「アメリカンマザー」と書いてくださる月森さん。たった数日で、本当に多くのことを教えていただいた。谷田部さん(写真中央)とは、吉田PTA会長と本校校長も合わせた4人でご一緒させていただい た。道中いろいろと解説を交え、ありとあらゆるところにご案内いただいた。とにかく博識である。お陰でアメリカの自然を堪能することができ、その雄大さにただただ気圧されるばかりであった。レスリングをされていたタフガイとは言え、かなりご無理をお願いしたような気がしてならない。11月6日、ご子息が結婚式を挙げられたとの由。翌日、「息子の結婚式はお陰様で晴天に恵まれラッキーでした。」とのメールを頂戴した。慶賀に堪えない私は、記して谷田部さんとご子息のご多幸を皆さんとともに祈念したいと思う。

幸運にも、お二方とは胸襟を開いて本短期留学事業について議論する場面があった。厳しいご意見を   頂いたのも確かである。しかし、そのいずれも、お二方が本事業に精力を傾注なさっているからこそ聞くことができるものであり、また生産的なものであった。ほかの誰よりも、本事業の発展を望んでおられるのである。それにお応えできるものにする義務を学校側は負っていると痛感している。

一生忘れることのできない機会を二人に与えていただいた。そこで得た経験を糧にして、周囲の人た    ちより一層研鑽を重ね、自らを育てていかなければならないと二人には伝えたい。そして皆さんには、二人を温かく見守り、お力添えをお願い申し上げる次第である。

 

International Ranald MacDonald Prize awarded to Fred Schodt

Tuesday, February 28th, 2017

Amsterdam, September 11, 2016 ~~  The Cultural Public Benefit Organization awarding the prize, Friends of MacDonald • The Dutch Connection,  abbreviated as FOM NL, would not have existed if Frederik L. Schodt had not written a biography of Ranald MacDonald (1824-1894). In his Native American in the Land of the Shogun: Ranald MacDonald and the Opening of Japan (Stone Bridge Press, Albany CA, 2003) he brings to life a ‘true cultural and racial hybrid—in the best sense of the word— (who) assumes heroic proportions because of his success in carving his own path in life, in an often unfriendly world’, in short, an example to follow. But, besides this book, Schodt – he calls himself a niche writer – has written many other works on related subjects, essays, historiography and translations. Therefore FOM NL granted him a special prize of 2500 euro for his oeuvre.

On October 11, 1848, year of revolutions in Europe and the gold rush in California, Japan still being ‘closed’, Ranald MacDonald met in Nagasaki with the Japanese ‘Dutch Interpreters’ and the Dutch ‘opperhoofd’, ‘chief’. This small event, which made it to the headlines in the Dutch newspapers because ‘the opening of Japan’ was hot in those days, was the reason to choose October 11th for the annual award ceremony.

The “International Ranald MacDonald Prize” will be awarded annually to the work of a debut writer or artist which is exceptionally ‘true, good and beautiful’ and sheds new light on the relations between Asia, Europe and North America. The novel In het licht van wat wij weten / In the light of what we know (Hollands Diep, Amsterdam, 2015) by Zia Haider Rahman fits this description precisely. Indeed, this book is so comprehensive, so wide ranging and has, eventually, such a remarkable outcome, that the first winner exceeded all expectations. Its quality will be the touchstone for any future award. The prize amounts to 5000 euro and the ceremony was held October 11, 2016.

~Fred Dijs   http://www.friendsofmacdonald.nl/en/2016/09/press-release/