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Posts Tagged ‘Hokkaido’

RISHIRI REPORT

Tuesday, February 28th, 2017

The following reports (in Japanese) were written by two students from Rishiri High School, Yuto Shima and Haruno Tsutsumi,  and their foreign language teacher, Junichiro Miyamoto, after completing their visitation to Spokane and Toroda, Washington and Portland and Astoria, Oregon, spending 5 days in each State.  They visited the grave site of Ranald MacDonald near Toroda, Washington and attended classes at Colville High School in Republic, Washington with other local students. They were guided by a long- time member of FOM and the author of the book “Unsung Hero”, Atsumi Tsukimori McCauley of Spokane, WA.  Next the three flew to Portland where they were joined by Rishiri H.S. Principle, Mr. Tsubokawa, and the PTA President, Mr. Yoshida. The five were guided by FOM Chairman Mas Yatabe to meet with Council General of Japan in Portland, Kojiro Uchiyama, who gave the two students’ self-introduction speeches in English a high grade of “A” as if they were his students, which made Principal Tsubokawa, Foreign Language teacher, Mr. Miyamoto and Mr. Yoshida, the PTA President very happy.   The five from Rishiri were driven by Chairman Yatabe to Astoria where they visited the birth place monument of Ranald MacDonald and later they were taken to Astoria High School where the students met host families and the Principle of Astoria High School, Mr. Lynn Jackson.  Although their stays in Washington and Oregon were short, they, in particular the students, learned a great deal about the diverse nature of the people and the culture of US, and the independence of US students compared their Japanese counterparts.  Both students were very appreciative of the host students’ and their families’ kindness in Republic, Washington and in Astoria. Oregon.  

マクドナルド短期留学研修を終えて 北海道利尻高等学校 

2 年 A 組志摩祐斗 

私は今回のアメリカ短期留学研修を通して、沢山の新しい経験をすることができました。私は留学に行く前は、英語がどれくらい通じるのかということや治安面について不安に思っていました。しかし、実際に行ってみると現地の方々が温かく迎えてくれたり、ワシントン州の大自然に囲まれた町やオレゴン州の洗練された町で生活することができて、とても幸せでした。

私が感じた日本とアメリカの違いは、アメリカ人は日本人より自立しているということです。アメリカの高校生の多くは免許が16歳で取得できるため、自分で車を運転して登下校をしていました。その  他にもホームステイ先の5歳の子が自分の部屋を持っていて夜は1人で寝ていました。このように現地の人は日本人よりも自立していて、その分高校生になると自分で責任を取らないといけないことも増え  るので、日本人よりも大変になるのではないかと考えました。

また現地の高校を訪問してみて沢山の文化の違いを感じました。握手を求められたり、仲の良い友達同士でハグしていたり、授業中にご飯を食べている生徒もいました。また私が理解できなかった英語を、日本語を習っている生徒が頑張って訳してくれたり、利尻について質問してくれたりと、とても責任感が強くて積極的な人が多く、現地の高校生から学ぶことがたくさんありました。

ホームステイ先では多くのおもてなしや気遣いをしていただき ました。おやすみやおはようなどの日本語を覚えて使ってくれたり、お土産の箸を使ってくれたりしました。また、私が卓球部だと言うと、卓球場に連れて行ってくれました。このようにアメリカ人はサービス精神が日本人よりも多く、ホームステイではとても有意義な時間を過ごすことができました。

私の留学の最大のテーマはコミュニケーション能力の向上でした。現地の方々は私が利尻や家族について紹介すると、大きなリアクションを取ってくれたり、会うと笑顔で挨拶をしてポジティブな言葉をたくさんかけてくれたりしました。私は現地の方々と話してみて、コミュニケーションを取ることの楽しさを改めて実感するとともに、沢山の元気をもらいました。

今回の短期留学では日本の良さを再確認することもできました。アメリカでは空港の椅子が食べ物で汚れていたり教室の  床に本がちらばっていたりしました。その他にもゴミの分別がなかったりコンビニが近くになかったりと、日本ではあまり考えられないようなことが普通に行われていました。このようなことを通して清潔で環境が良く、安全な日本はやはり良いところだと感じました。

今回もラナルド・マクドナルド短期留学ということで、ラナルド・マクドナルドが育ったトロダという町に行きました。トロダは建物が少なく自然がたくさんあり、利尻よりも田舎な町でした。彼はこの田舎町で育ったからこそ、後に日本に漂流を装ってまで行く冒険心や勇気が生まれたのではないかと私は考えました。これからは今回の留学を機により一層英語の勉強に力を入れるとともに、魅力的なアメリカでの経験をたくさんの人に伝えられるよう努力していきます。

 

マクドナルド短期留学研修を終えて北海道利尻高等学校 2 年 A 組堤春乃

中学生の頃からの目標だったこの短期留学。事前研修が進むにつれ、アメリカに行くという実感が湧いてきました。これまではただただ楽し みなことしか考えていませんでしたが、期待と同時に不安な気持ちにもなってしまいました。しかしいざ飛行機に乗ってアメリカの土地に足を踏み入れてみると、不思議なことに不安が一瞬で払拭されました。「たくさん学びたい。たくさん楽しみたい。いい思い出を作りたい。」あの頃からずっと憧れていたことがいまこの瞬間に叶っているんだ、と思うと自然と強い自分になれました。振り返ると、私の夢の時間はあっという間に終わってしまいました。

日本からテレビやインターネットで見るアメリカと、実際にその土地にいって実感するアメリカの文化は大きく違いました。特にカルチャーショックを受けたのは現地の高校です。私たちと同じ年代の子がどのようなライフスタイルなのかを一番間近で感じられる良い機会でした。しかしもう何もかも違いすぎて驚くことばかりでした。『日本の高校生』と『アメリカの高校生』の違い、授業体制の違い、部活の仕組みの違い。知ること聞くこと全てが新鮮でした。また、現地の高校生は私たちにたくさんの興味を示してくれました。アメリカにはない制服、日本の文房具、歴史や言語などについて質問をしてくれました。その中でもとくに印象的であったやりとりは、『日本語』についてです。日本語に興味を持

ってくれた子に、「日本人は文を書くときにひらがな・カタカナ・漢字の 3 つを使うんだよ」と私の名前を使いながらそれぞれ紹介しました。するとその子は「私の名前を漢字で書いて」と要求してきました。当然書くことはできなかったのですが、私たちが普段当たり前と思っていることがそうではないことを身をもって感じられた出来事でした。文化・言語の違い、人との出会いや新たな発見をできたからこそ、心から楽しむことができたのだと思います。

ホームステイでは今回の研修の中で最も濃い時間を過ごすことができました。正直、言葉の壁はとても大きな障害でした。もちろん耳に入ってくる言葉は全て英語。それもネイティヴの人たちなので初めは聞き取ることが非常に困難でした。自分がダメダメで、自信がなくなってしまうこともありました。しかしそんな私にも「心配しなくて大丈夫だよ」「もっとゆっくり話そう」などと気を遣ってくれる、

優しい家族の下でホームステイできたことをとても嬉しく思います。テレビで放送されているアメリカンフットボールの試合を全員で応援したり、ハロウィンのためにジャックオランタンを作ったり  と、初めての体験もさせていただけました。この短期間で多くの思い出を残すことができ、ホストファミリーの方々の気遣いや優しさ、心の温かさなど素敵な人間性を感じられる大切な時間となりました。

そして、現地で日本人のあやのという女の子に出逢えたことは、私の人生の強い支えになったと思い  ます。彼女は私の1軒目のホームステイ先に8月から交換留学生としてホームステイしていました。同い年にもかかわらず家族のもとを離れて1人で外国に飛び立ち、自らの力を使ってアメリカでの生活を送っている彼女のたくましさに圧倒されました。そんな彼女が大切にしている言葉を教えてくれました。

『YOLO(You Only Live Once)』。人生一度きり、という意

味があります。彼女はその言葉を支えに過ごしているそうです。たった 2、3 日しか一緒にいられませんでしたが、同じ日本人で同じ年齢で同じ性別の彼女の存在は、この人生で決して忘れることはないだろうと思います。滞在中は自分自身を客観視できる場面が多々ありました。自分の足りない部分や欠けている部分を見つめ直すことで、向上心をあげることに繋がり、自然と意欲的  になっていったように思います。なんとなく過ごしていた時間も視線を少し変えてみるだけで何か生ま れてくるものがある、とこの研修を通して気づかされました。アメリカでは月森さんと谷田部さんにとてもお世話になりました。街の紹介や車での移動だけでなく、知らない土地で右も左も分からない私たちの心の拠り所にもなっていただいたように思います。またマクドナルド友の会会長の古川さんや歴史研究家の西谷さんをはじめとするたくさんの方々や両町のご支援、そして温かく見送ってくれた家族に心から感謝しています。私がこうして目標を一つ達成できたのは、周りの支えがあったからだと実感しました。

「行けばわかる」。確実に自分の中で何かが変わります。小さい島から大きな国へ渡るのは勇気がいることですが、大きな一歩を踏み出すことで、自分の世界が広がるはずです。行ったからこそ味わえたこの研修の魅力を次の世代の人たちに発信して、少しでも多くの人に関心を持ってもらえるようこれからも努力していきます。

 

マクドナルド短期留学研修を終えて北海道利尻高等学校       外国語科教諭          宮本順一郎

8月の夏休み中から参加生徒と本格的な準備を始め、出発が近づくとマクドナルド友の会の方々と細かな打ち合わせを持つようになった。その打ち合わせの中で初めて、これほどまでに多くの方々からご支援をいただいている事業なのかということを知った。汗顔の至りである。ご支援をいただいているすべての方々に衷心よりお礼を申し上げたい。

人生において経験しておくべきことが無数にあるが、海外へ行くこともその一つと言えよう。十代後半、しかもこの短期留学のために英検の勉強をしてきた二名にとってはベストタイミングである。私の ような四十代の者が想像するより遥かに多くのものを得ていることは、二人が語らずとも雰囲気から感じ取ることができる。この短期留学がかくも刺激に満ちたものであることに、帰国して初めて気付かされたのである。

 

二人の成長が垣間見えるエピソードをご紹介して、ご支援を頂いている皆さんの御恩に僅かでも報いる ことができれば幸甚である。

ワシントン州でのホームステイを終え、ポートラン ドに向かった。到着して昼食を取った後、在ポートランド領事事務所へ。そこで二人はそれぞれ、内山浩二郎総領事(写真中央)に英語でスピーチを行なったが、実に立派なスピーチであった。私なんぞ、日本 語でもあれほどのスピーチはできない。内山総領事からは「ABCの3段階で『A』」を頂戴した。大したものである。短期留学期間中、最も緊張を強いられた時間だったのではなかろうか。そして、これほど改まった場で外国語を話す機会は、極めて稀有なことである。二人の人生において、実に大きな財産になったと信じる。

そして、帰国後、在札幌米国総領事館へ行き、ハービー・ビーズリー広報・文化交流担当領事(写真左) と面会する機会を設けていただいた。言うべき内容を頭に入れ、ビーズリー領事に向かってスピーチをする二人だったが、領事は文ごとに合いの手をお入れになったり、質問をなさったりする。これは二人にとって想定外のことであった。無論、私にとっても想定外。内心、「これは厳しい」と思っていた。しかし、そこで展開されたのは、領事とのやり取りを楽しむ二人の姿であった。日本語も交える心配りをなさるビーズリー領事には、帰国間もない我々を労うかのように、心地よい時間を提供して頂いた。さて、この短期留学に並々ならぬご尽力をいただいているのが、コーディネーターのお二方である。最初に行ったスポケーンでお世話になったのが月森愛鶴美さん、その後、ポートランドでお世話になったのが谷田部勝さんである。お二方の善意がどれほどのものか語りつくすことができない。私のような人見知りをする人間には、意気投合する人がそう現れるものではない。しかしアメリカで出会うことになるとは予想だにしていなかった。それが月森さん(写真右)である。人見知りはするが図々しい私は「お母さん」と呼び、この上なく寛容な月森さんはそれを許してくれた(と解釈している)。人間観察眼があまりに鋭く、自分でも気づかない一面を指摘されたときは、ぐうの音も出なかった。メールの最後に、「アメリカンマザー」と書いてくださる月森さん。たった数日で、本当に多くのことを教えていただいた。谷田部さん(写真中央)とは、吉田PTA会長と本校校長も合わせた4人でご一緒させていただい た。道中いろいろと解説を交え、ありとあらゆるところにご案内いただいた。とにかく博識である。お陰でアメリカの自然を堪能することができ、その雄大さにただただ気圧されるばかりであった。レスリングをされていたタフガイとは言え、かなりご無理をお願いしたような気がしてならない。11月6日、ご子息が結婚式を挙げられたとの由。翌日、「息子の結婚式はお陰様で晴天に恵まれラッキーでした。」とのメールを頂戴した。慶賀に堪えない私は、記して谷田部さんとご子息のご多幸を皆さんとともに祈念したいと思う。

幸運にも、お二方とは胸襟を開いて本短期留学事業について議論する場面があった。厳しいご意見を   頂いたのも確かである。しかし、そのいずれも、お二方が本事業に精力を傾注なさっているからこそ聞くことができるものであり、また生産的なものであった。ほかの誰よりも、本事業の発展を望んでおられるのである。それにお応えできるものにする義務を学校側は負っていると痛感している。

一生忘れることのできない機会を二人に与えていただいた。そこで得た経験を糧にして、周囲の人た    ちより一層研鑽を重ね、自らを育てていかなければならないと二人には伝えたい。そして皆さんには、二人を温かく見守り、お力添えをお願い申し上げる次第である。

 

A pilgrimage …

Saturday, February 4th, 2012

RISHIRI: A Pilgrimage … I want to say right now that I love Rishiri Island.  A few FOM members have already written about their visits to various ‘Ranald-related places’ in Japan, and I was thrilled that, late in 2011, I got to go, too. This was a trip nearly two years in the making in part because of the sheer number of people and places we wanted to see while in Japan, but thankfully everything came together more or less as planned, and in late October we arrived at Wakkanai on the north-western tip of Hokkaido where we were met by our friend and long-time FOM member, Yamazaki-san, who, though he lives in Ebetsu, a suburb of Sapporo and a good 6-hour drive from Wakkanai, insisted on driving up to join us on the first leg of our journey – a two-day stay on Rishiri Island. It was our intent to spend time exploring Rishiri Island before catching the ferry back to Wakkanai and returning to Sapporo via Yamazaki-san’s car.  [More about this later…]

rishiri-ferry

Our passage from Hokkaido to Rishiri was uneventful – just the way most people like their ocean travel to be.  The Sea of Japan was calm as we stood out on the narrow, windy deck and watched the silhouette of Rishiri-Fuji grow larger and more detailed as we approached, commenting to each other that this was the same mountain peak Ranald set his sights upon as he struggled to maneuver his small, unwieldy boat closer to land on that long-ago July morning.  There are, in fact, real similarities between the appearance of Rishiri-Fuji and Mt. Hood – the mountain of Ranald’s childhood – although whether this had any effect on Ranald  [e.g., did he also see the resemblance between the two peaks?] only he himself could say.  In my own humble opinion, by the time he got close enough to Rishiri Island to make out the details, I would venture that Ranald really didn’t care what Mt. Rishiri looked like – he simply wanted to find a place to safely “castaway”.

Mr. Eiji Nishiya, the dedicated and enthusiastic curator of the Rishiri Town Museum, met us when we docked – camera in hand, of course.  [We know many good photographers, but I have to say that Mr. Nishiya takes his photography seriously, and I am always excited to open his newest emails to see what treasures he has sent us.]  Mr. Nishiya took us on a brief drive along the ocean before delivering us to our initial destination – a modest western-style, “beachside” hotel that served breakfast and dinner and had its own in-house ‘onsen’.  I’ve put the word “beachside” in quotation marks because, as far as I saw, there are no beaches on Rishiri Island, at least not the sandy kind; in fact, the shoreline reminded me very much of the Oregon Coast between the Sea Lion Caves and Seal Rock, where barely-eroded basalt flows meet the Pacific Ocean. Consequently, Rishiri felt very much like home to me [I grew up on the Oregon coast] and I spent much of the following days trying to convince Mr. Y. that it might be nice to immigrate to Rishiri sometime in the future.  Even the storm that moved in overnight could not change my mind . . .

We were awakened the next morning by the sound of wind and rain against our window, but we are Oregonians and a little wind and rain is nothing to us.  Mr. Nishiya was ready for us and by mid-morning we were happily rummaging through the Ranald MacDonald exhibit at the Rishiri Town Museum.  All three of us were impressed by the number and quality of the exhibits, ranging from artifacts of the Ainu First Peoples to the subsequent influence of the Japanese who eventually displaced them, a creditable natural history exhibit of common and indigenous flora and [stuffed] fauna, a section devoted to the local industry of fishing and sea-farming and – of course – a well-placed and very well organized area devoted to none other than Ranald MacDonald.  We could have easily and quite happily spent a few days examining Mr. Nishiya’s own private stash of MacDonald treasures, but arrangements had been made for Mr. Nishiya and Mr. Yatabe to give a brief presentation about Friends of MacDonald to the student body of one of the two island junior high schools – and we were all pleased and gratified that, once they had heard the incredible true story of Ranald MacDonald the First English Teacher in Japan, the kids were genuinely interested in and enthusiastic about “their” local hero.

Next we loaded into Mr. Nishiya’s car and drove around the whole, rocky island.  Except for the difference in temperature [and the lack of palm trees!] I could have almost imagined myself on Maui, again because of the abundance of basalt and ancient lava flows.  In fact, more than a few of the rocks had names – “Neguma no Iwa” [Sleeping Bear Rock] and “Jimmen Iwa” [The Rock Face] are just two examples. Mt. Rishiri is extinct – its last eruption is estimated to have been in 5830 BC – give or take 300 years – and erosion has produced an extremely rugged topography, but the wind and the waves have not yet been able to break all that basalt down into sand.  This includes Notsuka Cove, where it is believed that Ranald first set foot on Rishiri; marginally protected from the elements, it is still used today by local fishermen.  Like every other Pilgrim to that place, we stood and gazed out over the Sea of Japan and tried to imagine how it had been for him.  And then, again like the others before me, I bent down to pick up a rock – to bring back to Toroda as an offering, perhaps?  I found several, and even pocketed a couple, but something made me keep looking.  I was soon rewarded by a flash of turquoise between the wet stones – a piece of glass float, broken and tumbled by the waves.  Of course, Ranald never saw any glass floats while he was in Japan – Japan didn’t start using the glass floats until 1910.

macdonald-rishiri-monuments

Before visiting Notsuka Cove we went to see the monuments memorializing Ranald’s exploits.  The first has Ranald’s likeness and calligraphy of an excerpt from the novel “Umi no Sairei (海の祭礼)” (pub. 1986) by Akira Yoshimura (吉村 昭). The book became a sensation in Japan.  There has been some confusion about the larger of the two monuments: in photos it looks as though there are two separate stones, but it is an illusion created by the way the granite is polished.  This is, in fact, a single monument.  The second monument on the left in the photo has the following inscription by Professor Emeritus of University of Hokkaido, Jyukichi Suzuki (鈴木重吉名誉教授) [Prof. Suzuki was born on Rishiri Island]:

In 1848 ‘Kaei 1’ Ranald MacDonald born in Oregon reached ‘Notsuka’ pretending to be a shipwrecked sailar (sic). He felt deep racial connections with Japan across the Pacific although he knew of her total seclusion from the outside world.  Inevitable he was arrested and sent to Nagasaki via Soya and Matsumae.  During his imprisonment in Japan he did his best for mutual understanding and friendship between the two peoples transcending the language barrier.  Five years later when Comm. Perry came to force open the closed doors of Japan, MacDonald’s former students at Nagasaki Einosuke Moriyama and others played an important role as interpreters. Thus Ranald enjoys the honor of being the first formal teacher of English and indirectly a father of modernizing Japan.

rishiri-lion-danceLater that evening we were treated to a very private practice session of  a Kirin Shishi-Mai (麒麟獅子舞) conducted by some local residents, including Mr. Nishiya – who plays the Japanese bamboo flute.  During a short break in the practice one of the men looked at us and grinned broadly. “No ferry tomorrow, too stormy!” he said with a laugh.  “100% no ferry!”  We all looked at each other in disbelief – would they actually cancel the only ferry back to Wakkanai?  We had a plane to catch in Sapporo, and a tight itinerary to follow!  Luckily we managed to get the last two seats in the very rear of the daily prop-jet flight from Rishiri Island to Sapporo [which, we later found out, is also frequently cancelled due to weather]. Sadly, we had to leave Mr. Yamazaki behind, promising that we would indeed drive down the western coast of Hokkaido with him on another day. . .