“Japan’s Diplomatic Relations Began with Drifters”

A symposium entitled “Japan’s Diplomatic Relations Began with Drifters was held at Yui no Mori Arakawa in Tokyo on July 17, 2017. Panelists included Mr. Frederik Schodt, author of ‘Native American in the Land of the Shogun’, and Tokyo- based author/scholar Ms. Sen Ishida; the moderator was author Natsuo Sekikawa, board member of the Japan Writers’ Association. Page 3 is a write-up of the symposium from the ‘Weekly Dokushojin’ publication; Mrs. Yumiko Kawamoto’s report on the symposium can be found below. The following is a flyer that was circulated for this event:

日本文藝家協会著作権管理部    各都市巡回文藝イベント  第10 回      東京

シンポジウム

漂流民から始まった対外関係

— 吉村昭を再読する―

鎖国下の日本に、外国語を習得しようと、また、翻訳を試みようとした人々がいました。辞書も無く手探りで学ぶ困   難さ、そして異文化への強い憧れと知識欲。吉村作品の「海の祭礼」「冬の鷹」に描かれた時代と人を、吉村昭記念文  学館があるゆいの森あらかわにて語り合います。[シンポジウムは日本語で行います]

パネリスト      フレデリック・ショット

(日本マンガおよび漂流民研究者・同時通訳者)

石田    千(作家)

進 行      関川夏央(作家)

日 時 2017年 7月17日(祝日・海の日) 14時~16時

会 場 ゆいの森あらかわ         1 階ゆいの森ホール     東京都荒川区荒川 2‐50‐1

入場料無   料  (要予約)

* 終了後、作家との茶話会を開催いたします。会費:500 円(要予約)

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History’s Accidental “Ambassadors” ~~ report by Yumiko Kawamoto

「漂流民から始まった対外関係」参加レポート    河元 由美子

日本文芸協会主催のシンポジウム「漂流民から始まった対外関係―吉村昭を再読する―」が 2017 年 7 月

17 日(月)14:00-16:00、ゆいの森あらかわ(東京都荒川区荒川 2-

50-1)1 階ホールで盛大に行われた。文芸協会の web 上の「お知らせ」には「鎖国下の日本に、外国語を習得しようと、また、翻訳を試みようとした人がいました。手探りで学ぶ困難さ、そして異文化への強い憧れと知識欲。吉村昭作品の『海の祭礼』『冬の鷹』に描かれた時代と人を、吉村記念文学館があるゆいの森あらかわで語り合います。(シンポジウムは日本語で行います)」という文面がある。一般参加者にはわかりやすい説明文である。

参加申し込みはあっという間に定員の 120 名を越し、主催者は定員外で参加不可の人たちへの対応に苦労したそうである。

吉村昭は海外でも翻訳書が多くよく読まれている人気作家で、その緻密な取材力には定評がある。現地取材と文献による裏付けがしっかりしており、しばしば研究者からも参考にされているが、彼自身の言葉によるとどうしても事実と事実がつながらない場合は想像力でその狭間を補うと言っている。そのフィクションの部分と事実が大変よくつながっているので感心するのだが、やはり研究者は自分で「事実」を確認しなければならない。

このシンポジウムの構成人員は 3 人で、モデレーターの関川夏央氏(作家)、石田千氏(作家)、そして我らがレデリック・ショット氏である。進行役の関川氏が『海の祭礼』に従ってマクドナルドの生い立ちから日本訪問、帰国後の動静、晩年までを説明、話の山になる部分を石田氏が朗読、彼女の落ち着いた明快な声が耳に快い。冒頭の部分(マクドナルドの利尻上陸の部分、アイヌの人々によって助けられ、保護される場面)、次いでマクドナルドの回想に入り、プリマス号から離れ、一人焼尻島に上陸する場面(トドの群れにピストルを発射)、長崎到着の場面(長崎奉行の取り調べ、踏み絵をさせられる、森山栄之助との出会い)、座敷牢での英語教授(マクドナルドの日本語単語の収集、通詞たちが蘭英辞書の発音を確かめる、マクドナルドの温和な性格が日本人に好感を与える、熱心な生徒たち、日本語単語帳に長崎方言が混じる)、森山の晩年(疲れ切って健康を害し、全盛期の勢いがなくなり、寂しい晩年だった)、などが石田氏の朗読場面だったように思う。その合間に関川氏とショット氏の軽妙なやり取りが交差する。ショット氏の流暢な日本語に聴衆はすっかり魅了され、ときどきその当意即妙な答えに会場が沸く。マクドナルドといえば必ず登場するショット氏である。語り慣れているとは言え、いつもながらその知識の深さと完ぺきな表現力には感心させられる。「もし踏み絵を強要されたら?」とか、「深くお辞儀をするのに抵抗があるか」とか、「クジラを食べたいか」とか時には本題を離れた質問に笑い声が起こった。脱線も関川氏の作戦か、和やかで楽しい 2 時間があっという間に過ぎた。質疑応答は会場を開ける時間が決まっているのでなかった。その代わりシンポのあと、30 分ほどパネリストと参加者の交流ティータイムが用意された。私はこの会に出なかったので様子はわからないが、文芸社の小俣さんが撮った写真を見るとリラックスしたよい雰囲気が伝わってくる。会場に来た 120 人の人はすっかりマクドナルドの存在が頭に焼き付けられたことだろう。関川氏もよく事前勉強をされ、会の流れを巧みに操縦したと思う。会場整理の文芸社社員もよく効率よく働いていた。大成功だった。

吉村昭は荒川区東日暮里の生まれで長く荒川区に住んでいた。吉村昭文学記念館が荒川区に新しく創設された

「ゆいの森あらかわ」の 2 階に「吉村昭コーナー」として収まった。

吉村の作品、彼の書斎にあった書籍類、膨大な執筆資料、原稿などが集められ、彼の書斎まで復元され、愛用のペンや机などがそのまま置かれている。吉村ファンにとってはまことにありがたい場所である。

シンポの行事が終わり、関係者は吉村氏行きつけの中華料理店に移動した。関川、ショット、文芸協会のスタッフ、講談社と新潮社のもと編集員、ともに吉村昭担当のベテラン編集者、私と友人の 12,3 人が丸いテーブルを囲み乾杯、そして次々運ばれてくる料理を食べながら歓談。前夜のホテルで冷房のスイッチが見つからず地獄の一夜を過ごしたショットさんに同情が集まる。そう、日本列島どこでもまるで焦熱地獄のような気温だったのだ。7 月 14 日に羽田に着いたショット氏はすぐ長崎に飛び、森山栄之助顕彰碑を見に行った。長崎のホテルには小濱先生、前田氏が表敬訪問、翌日は前田氏の案内で松の森神社参道にある森山顕彰碑とマク

ドナルド顕彰碑をカメラに収める。東京に引き返し取材やシンポの打合せで休みなしの強行軍、それもひどい暑さと闘いながら・・、涼しいサンフランシスコからの賓客にはまことに過酷な滞在だったことに深く同情する。

食卓での話題はなぜMacDonald なのか、McDonald との違いは何かで始まった。ショット氏の答えは

「どうでもいい」、これに満足しない面々はさらに追及、私に意見がもとめられたので、私も「どうでもい い」と。山崎をヤマザキ、ヤマサキふた通りの読み方がある。本人がヤマサキだといえばみなそれを尊重してヤマサキさんと呼ぶだろう。斎藤にも斎もあれば斉もある。要するに名前は本人がどう読むか、どう書くかで決まるのではないか。「座敷牢」は英語で何というかの質問に、座敷ではない、あれは「牢」なのだという答

え、ご名答。座敷とは畳の敷いてある部屋という意味でしかも 3 畳ぐらいの広さしかない。健康でアウトドア派の若者にはとてもつらい環境だ。なるほど座敷と牢のどちらがキーワードか、考えるチャンスをもらった。蛇足ながらマクドナルドが別れのあいさつで「ソイナラ」と言ったという発言があった。SOINARA では なく SIONARA の読み違え書き違えではないか。SIO なら   サイオと読める。今の日本人はヘボン式で読む 習慣があるが、 SI をサイとなぜ読まないのか、サイオナラならより「さようなら」(Good bye)に近づく

ではないか。

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